スーパードライ 呉市制100周年記念缶



 スーパードライ「呉市制100周年記念缶」をプロデュースされた呉市制100周年記念事業実行委員会広報宣伝専門委員のH様に、 記念缶発売までの誕生秘話を寄稿して頂きました!普段、缶ビールを集めていてもこういった裏話を知る機会はめったにありません。ご紹介したいと思います。



発売までの経緯

 私は1999年(平成11年)10月に呉市役所の呉市制100周年記念事業推進室のT室長(大学の先輩)に声をかけられ、 呉市制100周年記念事業実行委員会主催のイベントリーダー研修会(呉市は市民参加による100周年事業を推進のため この研修会を実施)に参加、研修を修了後、私は同実行委員会会長の小笠原呉市長より実行委員会広報宣伝専門委員を 委嘱されました。公募のシンボルマークの審査会で広報宣伝専門委員と学識経験者とでこの「くれまるちゃん」を シンボルマークとして選定しました。ある打合せでT先輩と居酒屋でビールを飲んでいた時、私はふと目の前にあった アサヒスーパードライの瓶を見て、T先輩に「くれまるちゃんスーパードライを出しましょう」と思わず言ってしまったのです。
 人口20万地方都市の市制100周年のために大手ビール会社のアサヒビールが100周年ラベルを出してくれるか内心凄く心配でした。 飛び込みでアサヒビールの会社に行っても無理だと思い、私の取引関係先の住友銀行(現三井住友銀行)のK広島支店長(最後の呉支店長)に 「呉市制100周年の記念缶発売にご協力を下さい。」と懇願しました。K支店長は快諾して頂き、早速広島市中区にあるアサヒビール 中国地区本部のY支社長に呉市制100周年記念缶発売を要望して頂きました。その後アサヒビールより交渉に応じるとの連絡があり、 平成12年6月記念缶担当部署の中国地区本部営業企画部のH部長とH副課長に面談、念願の呉市制100周年記念缶の発売に漕ぎ着けた次第です。 この時ビール会社の記念缶の発売ノウハウについて色々教えていただきました。
 くれまるちゃんの足の緑色はスーパードライ製造ライン上5色が限度で印刷出来ませんでした。記念缶は一時既存製造ラインを止めて 設定し直すので大変な作業だそうです。
 記念缶のデザインについてアサヒビールさんは実行委員会の要望通りくれまるちゃんと呉市の文字を前面にアピールしたデザインにして頂きました。 もしこれからイベント記念事業を考えている方があればアサヒビールさんと交渉すれば記念缶が出来るかもしれません。


呉市制100周年記念缶発売スケジュール表

発売日    平成14年3月27日
特約店入日        3月25日
酒販店配送開始日   3月26日
社外発表         3月 7日
受注〆日         3月15日

発売期間平成14年3月27日〜5月末日
発売予定数  3月  3000函
          4月  3000函(4月28日呉市制100周年開幕式
                    イベント瀬戸内歴史絵巻)
          5月  2000函
             計8000函 (これが記念缶の最低出荷数です)



アサヒビールと呉市の関係

 呉市には第3セクターの地ビール会社「呉ビール(株)」があり主力商品である『海軍さんの麦酒』のボトルはアサヒビールからスタイニーの瓶を 提供しています。また、呉市制100周年記念事業実行委員会役員の経営する居酒屋チェーンが扱うビールもアサヒビールだったという点も縁があったようです。 そして、呉市周辺には広島に本社のある自動車メーカーマツダの協力会社が多数あり、マツダとアサヒビールとは協力関係にあった (昭和50年代マツダ株式会社を再建した功労者村井勉氏は(当時副社長住友銀行出向)その後アサヒビール社長に就任してスーパードライでアサヒビールを再建、 そして、JR西日本会長となった人物で、ミスター再建屋と呼ばれ、村井勉氏、樋口廣太郎氏(現アサヒビール名誉会長)共に住友銀行出身者です。) ことが好要因でした。自治体の施行100周年イベントと言うことでビール会社としてはブランドイメージの拡大が図れ、1社で発売を望んでいたと思います。 結果的にアサヒビールのみが記念缶を発売しました。


呉市と住友銀行の関係

 住友銀行本店開業が明治28年(1895年)、住友銀行呉支店開業が明治30年(1897年)、呉市制施行が明治35年(1902年) 当時この小さな村呉に何故住友銀行が支店を置いたかと言いますと、呉に明治22年呉鎮守府(佐世保、舞鶴、横須賀他)という日本海軍の重要な機関が 開庁したことによります。財閥銀行が呉にないと海軍の軍事資金が潤沢に供給出来なかったのだと思います。今年同じ市制100周年の佐世保市にも 佐世保鎮守府がありました。呉市と、佐世保市は旧海軍の町で共通しています。現在両市は海上自衛隊の基地の町、造船、重工業の町として共に繁栄しています。 あの戦艦大和は昭和16年呉海軍工廠で建造されています。そして、住友銀行呉支店は平成11年(1999年)に金融再編成の流れの中で102年の歴史に 幕が降ろされました。これで呉市から都市銀行がすべてなくなりました。当時呉市経済部の幹部は「100年も呉市の経済に貢献してきてくれた支店が廃止されるのは 非常に寂しい。」と地元新聞の質問に答えています。最後の呉支店長となったK支店長は閉店時、呉支店の支店長室に長年飾られていた広島県安浦町出身の画家南薫造の 油絵『庭』を「長い間、呉市の皆さんにお世話になったお礼がしたい」と呉市に寄贈を申し入れ小笠原呉市長にこの油絵を手渡しました。 現在この油絵は呉市立美術館に所蔵されています。元K呉支店長(現広島支店長)のご協力がなかったら呉市制100周年記念缶は誕生しなかったかもしれません。

おわりに

 明治のノスタルジックな雰囲気を漂わせるレンガ造りの街並の広島県呉市に是非お越し下さい。 この1年間呉市制100周年記念事業のイベントが盛りだくさんです。イベント情報は呉市制100周年記念事業のホームページをご覧下さい。
 それでは、くれまるちゃんアサヒスーパードライ記念缶で呉市制100周年に乾杯! もしかしたら、呉市制200周年でこの記念缶お宝グッズになるかも?


            呉市制100周年記念事業実行委員会広報宣伝専門委員 H



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